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スイス滞在騒動記(その13)

スイスとスイス人@


 スイスでボスの家に招待されました。行ってみるとベルンへ来て5年になると言うカナダ人夫婦(お嫁さんが歯科衛生士さんでベルン大学に勤務してました)も一緒にお呼ばれしていました。旦那の方はチューリッヒにあるコンピュターソフトウエアーの会社に勤めていました。私のボスはイタリア人でしたので、その集まりはスイスに来た外国人(イタリア人、カナダ人、日本人)ということになりました。まずカナダ人の旦那さんがひとくさり。スイスでのビジネスのやり方がアメリカ、カナダとは全く違うとぼやくのです。チューリッヒはスイスの中でも都会で、internationalで、英語が通じて(9割方と言ってました)、町中でも英語を耳にすることが少なくないのでまだマシな方だ。でもここベルンは、英語が全く通じない、誰も喋らない、喋るのを躊躇する、云々とベルンをこき下ろします。しかし外国に来て自分たちの母国語英語が通じえへんからといってなんやねん、と僕にはすこしおこがましく感じられました、、、がまあいいです、許します。僕らのつたない英語に耳を傾けて理解してくれましたし、わかりやすい英語で喋ってくれましたから。そんな彼らが声をそろえて言うのには「スイス人はunfriendlyだ」。英語ですらカタコトの私にはスイス人は遥か彼方の存在のように思えます。ちなみにそのカナダ人はスイスへ来て5年、ドイツ語を習っていてセミナーではドイツ語で質問できるぐらいの語学力を持っています。僕がドイツ語を教えてもらっているドイツ人女性にラボの人達があまりしゃべらないというと、スイス人は概して他国人にはhesitateする傾向がある、と言われました。そして、スイスドイツ語をしゃべらないと友達にはなれないでしょうね、とも(ガーン)。
 スイスの州はアメリカと同様に独自の憲法、行政権を持ちます。元々独立した国のごとく振る舞っていた各地域がそのまま州(カントンとよばれます)となったのでアメリカ以上に州の権限が強いようです。そして人々はスイス人と言うよりカントン人、ベルンカントン(州)なら「ベルン人」と言う意識がまだまだ強いと聞きました。ベルン出身のDr.からスイスのドイツ語は標準ドイツ語と違うという話を聞いているとき、彼は「スイス人は・・・」といわずにずっと「ベルン人は・・・」という風に表現していました。家々の庭にはためくのはスイスの国旗ではなくベルンカントンの旗であったり、町の旗であったりです。国レベルで推進されているECへの加盟が、反対カントンの存在で否決されたのは有名な話のようです。ベルンカントンはスイスを構成する26程のカントンのなかの一つです。州の首府でもありスイスの首都でもあるベルン市ですが、スイスの中にあってそんな大きな町ではありません。しかし古くスイス国が誕生する前から政治的リーダーシップを大いに発揮していた町のようです。というのもベルンは”武”をもってこの地方に覇を唱えた町なのです。人口(ベルン市は12万人ほど、チューリッヒ市は36万人ほど))はそう多くないのにジュネーブカントンの30倍、チューリッヒカントンの3倍以上のカントン面積をもつことがかつての武勇を示す結果かもしれません。都会というほど大きい町ではなくても、武の伝統があって、そして地域のリーダーシップを取ってきた町ベルン。それがゆえにかベルン人はスイスの中にあっても非常にプライドが高く、人々は頑固なようです。
 こちらに住んで2年になるというある日本人の人が、フランスやドイツなど周りの国に旅行に行って、旅行先の人に「どこから来たんだ」と聞かれて、「日本人だけど、今はスイスに住んでる」というと、「おースイス。とてもいい国だね、スイスは。ただしそこに住んでいるスイス人以外はね。」といわれたそうです。その日本人のひとの家に遊びに行ったとき、その人にはうちの子供より年上になる小学生の子供がいましたが、子供達はみんなバラバラに遊んでいました。年齢差があるので仕方ないと思うのですが。その家の奥さんがそのような子供の姿をみて「まーこの子たち、お客様なんだし、あなた方お兄ちやんなんだからしまぶくろさんの子供たちとちゃんと遊んであげなさい。もーすっかりスイスのやり方に慣れちゃって、お相手しないんだから」。
うちのボスは6年前にイタリアからこの地に来たそうです。彼はスイス人の話をする時「スイス人はいつもこんな顔・・」といって苦虫かみつぶした顔をして笑います。いまインターナショナルスクールとベルンの保育所とに子供を連れていっていますが、インターの先生は、日本的な感覚で見ても子供の学校の先生らしくにこやか。でも地元スイス人が保母さんをしている保育所の方は、若い保母さんもなんか怖そうな顔。
 同じラボにいる中国人Drがある日怒っていたのでわけを聞いてみました。彼女は、同じ部屋のテクニシャンの人に突然「おまえあの大事な書類は出してなかったのか」と言われたそうです。その書類のことは1、2週間ほど前の「教室報告会」で話があったとのこと。教室報告会は全員が参加する連絡会で現地語で報告事項や通達事項がなされます。僕もその中国人も出席していたのですが、現地語を聞いてもわからない僕も中国人も報告会の内容は100%わかりません。それでその中国人Dr.が怒るのは、私達が現地ドイツ語を理解できないのをみんな知っているはずだ、私たちに関わる大事な報告があったのなら、少なくとも私達に関係することだけでもわかる言葉で教えてくれるのが親切じゃないか。私の北京大学に他国から人が来たときは、これだけはこうして下さい、こういうことがあるのですけどどうしますか、とわかるようにちゃんと説明するヨ、と僕にぶちまけるわけです。報告会の事後に報告事項をまとめた書類が回覧されるのですが、ドイツ語で書かれていてどこが私たちに関係する項目なのかよくわからないのであまりちゃんと見ません。
 さらに中国人Drはあれやこれやとたまっていた不平不満を言い出します。その中国人Drは診療室でとりあえずあるDr.につくようにといわれていました。中国人Dr.はその人はまだ親切なほうなのよ、と前置きして、こちらが何も言わなければ何もしてくれない。こちらが何か言うととりあえずはしてくれるけど、みたいなことをいいます。スイス人は個人主義、自分は自分、他人は他人。うちの同居人が知り合ったドイツから来たドイツ人もいわく、「スイス人は偏屈で外国の人間に対して冷たい」。→その2へ続く
(平成21年7月 追加)

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