しまぶくろ歯科医院 番外編コラム 本文へジャンプ

スイス滞在記(その8)


<ルッツエルンへ行く 後半>

ICE1ICE2 
ICEの中ICEの中で子供
(国際特急 左下の写真は通路に立って撮った写真です。通路右側がガラスごしの風景で左側がコンパートメント。右下の写真はコンパートメント内でおやつを食べる子供達)

さて、異国の地で予定していた電車に乗れず駅に取り残された日本人一家でした。といっても、、次の電車は、約20分後。たいした待ち時間じゃないよね、と強がり。しばらくあっちこっちのホームへいって色んな電車をみながら歩き回って遊んだ後、余裕をもって次に乗り込む列車のホームへ。今度は乗り損ねたくないモンね。今度の列車は途中で乗り換えが必要な列車。というのも今度の列車はイタリアのミラノを出て、今我々がいるルッツエルンを経由し、ドイツとフランスとの国境の町バーゼルを経てドイツのハノーバー、ハンブルグへ向かう「ユーロシティ」。バーゼルの手前で乗り換えなければなりません。もし降り損ないでもすると、隣国ドイツへ行ってしまいます。淡路で降り損ねて十三まで行った、とはわけが違います。
 お待ちかね十数両連結された電車がホームに入ってきました。今度は無事乗車。列車の外見はあんましきれいじゃないのですが、中はしゃれていてゆったりした座席。何せイタリアからスイスを経由してドイツへ行く国際特急ですから。そんなに混んでなくて楽々着席。
このまま直通でベルンへ帰ることができれば楽ちんなのに。しばらくすると案の定、善匡そして善友が寝入ってしまいます。こんな風に昼過ぎにはお昼寝をするので僕らとしては直通列車に乗りたかったのです。でも悔やんでも仕方ありません。騒いでいた子供が寝入るとひとときの安らぎ。でも、、、何かが起こる前のような。僕にも睡魔が、ふと見ると同居人もウトウト。いや寝ちゃいけない、うっかりみんな寝てしまうと、、、。悪魔のささやき、「居心地いいでしょ、眠たいでしょ、そのまま寝ちゃいなよ、、、、すてきなドイツにいけちゃうよ」。はっ、いかん、眠ってしまったら、帰れない。ドイツに行ってしまう。いかん、イカン。眠気を払うように、目をこする。何とか覚醒を保つ。
 ルッツエルンを出発して40分ほどすると乗り換えの駅、OLTEN駅。でも善友、善匡とも熟睡。僕は二人分の鞄を背負って、さらに善友を抱えて、同居人も子供の鞄を背負って善匡を抱いて、列車を降りる。乗り換えの列車が来るまで数分。ホームには結構な人。列車が入ってくる。コンパートメントタイプの電車。日本ではあんまり見かけない構造の列車ですが、片側に通路があって2〜3人づつ掛けのいすが向かい合って個室のようになっている。そしてこのコンパートメントと通路の間はしきりとカーテンが引ける扉がついています。列車によっては寝台車にも出来るようになっている。我々が乗れるのは2等車両。乗り込んでみると、、、席がない、隣の車両へ移動、ここも混んでいる、鞄や抱える子供が人にあたるがそんなことは気にしていられない。次の車両へ、・・・その隣も・・・どこも空いてない。列車が動き出す。なにも言わずに席をさがして移動する、・・・とうとう最後尾、、でも空いてなかった。万事休す。ベルンまでは4、50分。仕方ないので通路のどこか落ち着く場所を探す。通路に小さな荷物置き場のようなものが腰ぐらいの高さででっぱっているのに気づき取りあえず子供を抱えたまま窮屈に腰をのせる。もとの方向へ戻ってもう一度座席を探す元気もない。疲れたなあ。フー。
 どれくらい時間が過ぎただろうか、車内に車掌さんがやってきた。彼は寝た子を抱える我々の姿を見て、何か話しかけてくる。有り難い。車掌さんが業務用のコンパートメントを貸してくれる、というのだ。こんな時には人の情けが身にしみるよー。列車の車掌さんありがとう。デンケシェーン、メルシーと知っている数少ない単語を並べ立てる。
 やれやれ、コンパートメントに入ると荷物をおろし、子供を寝かせ。体も心も一息。列車は我々のどたばたとは無関係に、ひたすらベルンへ向かって走る。善友は途中で目を覚ましたが我々の苦労も知らずにイスを動かしふざけ始める。コンパートメントの中の向かい同士のいすをスライドさせると寝台用のベッドのようになるのです。ガタン、ガタンと列車はひたすら走ります、心地よいリズムで。そうこうするうちにもうすぐベルン。降りる準備をしなくっちゃ。
 (平成20年11月25日更新)


 
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