<平成24年4月のブログ>

<イスラエル・ヨーロッパを旅した回顧録シリーズは月1回ペースでしばらく続きます。>

う〜ん 誰に似たのだろう 

平成24年4月27日

家人はパソコンで仕事、長女はプリントの宿題、僕はメールをチェックしていた。
  <まとめ読み5 45番>「松竹梅をかいた絵が金賞に選ばれた」
春らしくなってきたとはいえ、夜は少し寒い日だった。
  <46番>「兵隊たちは勇ましく戦い無事に帰ってきた」
そう、三人はこたつの上で作業をしている。長女は宿題で、漢字に黙々と読み仮名をふっている。
  <47番>「店先に置かれているのは清めの塩だろう」
家人は疲れたのか伸びをして、あおむけにゴロン、目を閉じる。これがこたつの魔力というものだ。
  <48番>「老人は初めての孫が生まれて喜んだ」
しばらく寝入っていた家人がむくっと起き上がった。
それを横目でチラっとみた長女は、ニヤっと笑って鉛筆のおしりで宿題プリントをトントンとした。
プリントをのぞき込むと
  <49番>「老いた母は、静かに目を覚ました」

天の岩戸 

平成24年4月20日

仕事終わって家に戻ると、こたつで長女が黙々と何やら書き物をしている。キッチンでは長男が片付けをしている。
長女は、両耳隠れるようにタオルを頭にかけている。「なにしてんの?」聞いても返事がない。長男に「なんで頭にタオルかぶってるの?」と聞くと
「ご機嫌ナナメのようですよ」
「ふ〜〜ん」
「二人ともご飯は終わったんやろ」
「一応ね、、、」
夕食は鶏肉すき鍋だったので、はは〜んさてはお肉嫌いの長女がお肉を残して、長男に怒られたな。タオルをかぶった長女にもう一度声をかけたが生返事。タオルは、簡易天の岩戸やな。こりゃ、お神楽御神酒がいるね。
鶏肉すき鍋は作った量が少なかったのか、たくさん売れたのか、あまり量がない。それで少しダシと野菜を足して冷凍うどんを投入した。
ダシの香りがたつ。おうどんもぐつぐつ煮える。ホコホコつるつるっと美味しいぞ。
自分が食べている時にはなかったおうどんが気になる長女は、ひょろっと立ち上がってお鍋の横にきた。食べてもいいよ〜。
具をすくうお玉使って、行儀は悪いけど、器用におうどんをすくい上げて、ふ〜ふ〜とつるつる食べて、頭のタオルを取りました。


ここではゆっくり おやすみ下さい

平成24年4月13日

フィットネスジムクラブの開始は10時である。そんなつもりではなかったが、10時少し前に着いた。受付はきっちり10時だ。早めについた人らが受付周りを取り巻いている。というのもトレーニング開始前に受付に置いてあるカードリーダーにメンバーカードを通す必要があるからだ。しばらく時計を見る。10時になり、スタッフが開館を告げ、カードリーダーの受付開始を始める。受付カウンターの周囲にいた人たちが、その声に顔をあげるのだが、間があって誰もすぐには動かない。列をつくって並んでいるわけではないので、牽制し合って一瞬前へでるのを躊躇するのだ。
「このまえ、風えらい強かったなぁ。嵐、台風みたいやったで」
「そうや〜近くのお店の前に置いてあった自転車みな倒れてたわ」
「うちも洗濯モン飛ばされててな、、」と話をしていた方々が、なんやみんな受付せ〜へんのかいな、という顔付きで、ほなわたしら先にいかせてもらうで、とばかりに前へ出る。強い者が先んじる。これは世の厳しい掟、しきたりである。この場も例外ではない。
「あんた、今日は何時までおんの」最初の人はカードリーダーへカードを挿しながら仲間に声をかける。「11時過ぎに帰るわ。旦那が家で待ってんね」「へ〜旦那さん待ってくれてんの」「いや何ゆ〜てんの。腹すかせて待ってるんやんか。お昼ご飯つくったらなあかんからな」「そら、うちもや。でもうっとことは、そんなはよ〜帰らんでもいいねん」「どっか外で食べるかしてくれたら楽ちんやのにな」「ホンマや」
カードが出てきているのだから、口ばっかり動かさずに取り出してさっさと次進んで欲しいな、と皆が視線を投げかけている。
「あんた!ほらカードでてるで、みな待ってはんで」「そやった、はははっはは」別に悪気があるわけではない。
受付から喧噪が立ち去り、続いて誰に向けてというわけではなく、周囲の人に軽く会釈しながらおずおずと、おとなしめのご婦人方が次々カードを通していく。
そして、やれやれおばちゃんら終わったかいな、とおじさん達がぶっきらぼうにカードを通して、集団のほぼ全てが受付を済ませた。
と、イスからよっこらしょと立ち上がる人がいる。受付から少し離れたイスに座っていたおじいさんだ。
よろよろ、よたよたと受付へ近づく。受付手前でカードをゆっくり取り出す。が、届かない。震える手でカードをカードリーダーへ通そうとするのだが、少し手前で立ち止まったので届かない。手をだしかけたが、おじいさんは倒れそうなバランスでもう一歩前へ足をだし、カードをカードリーダーへカタカタ当てながらようやく差し込む。その後はとぼとぼとロッカールームへと歩みを進めていった。
このおじいさんのお家がどこにあるのかわからないが、ここへ来るだけでももう十分なトレーニングではなかろうか。
最後になった僕は、ようやくあなたの番ですね、といいいたげなスタッフの笑顔を受けてカード受付をした。

少し汗をかいて新聞を読もうと休憩室へいくと、先程のおじいさんがマッサージチェアーでマッサージを、、いやマッサージチェアーでゆるりと寝ていた。

控えおろう 神の御前である

平成24年4月6日

<イスラエル・ヨーロッパを旅した回顧録 その6>
エルサレムの続きだ。
上司に誘われて嘆きの壁にやってきた。嘆きの壁は、エルサレム神殿がヘロデ大王により拡張され、その後侵略者の破壊を受けながらも修復されて現在まで残っている城壁の一部だ。エルサレム神殿の西側外壁部分なのでWesten Wallと呼ばれる。ここはユダヤ人にとって聖なる場所だが、異教徒かつ物見遊山の我々も入ることができる。ただし、入るにはかぶり物が必要というきまりがある。かぶり物を持ってなかったらどうなる!?。大丈夫だ。体育館入館用のスリッパのごとく、段ボール箱に沢山のお皿のような帽子(キッパー)が置いてあり、どういう立場の人かわからないが入り口に人がいて、分け隔てなくこのお皿型帽子を貸してくれていた。どんなものかは下の写真を見て頂くとわかる。現地の人がよく頭にのっけてた(下の写真 赤い矢印)。
この神聖な場所は、神社仏閣のように敷地の中にある建物ではない。見上げるような城壁だ。でもただの城壁と言うなかれ。日本にも山の神、お百度石や鰯の頭なんてあるからね。とは言うものの、目の前にあるのは石づくりの壁だ。この壁に向かって皆一心不乱に祈っている、我々以外は。そう、祈っていないのが物見遊山の連中である。
日本の神社なら、信心がなくとも、お賽銭をいれて、パンパンと叩いて手を合わせて祈願できる。何を祈願するかというと、例えば
「家内安全、無病息災、商売繁盛」
「チーちゃんと同じ高校に入れますように」
「今度のG1レースに勝てますように」
「サマージャンボ1等お願いします。最低でも3等当たりますように」
「今年は絶対彼氏ができますように」等々
祈願成就。ご利益信仰ゆえ、我々はご利益がありますようにと祈るのである。
ほんとの祈りとはちょっと違うような気がする。ここにいる人たちは長々と何を祈るのだろう。この点に関して一般的な日本人たる自分には、「祈る」という行為が概念も実体もない、とらえどころのないものなのだ。
さてキッパーが落ちないようにそろそろと歩く。おっ上司は早速落としているぞ(現地の人はピンのようなものでとめているようだ)。
「でもなんでかぶるんでしょうね」「頭を隠すことが神への敬虔を示すことになるらしい」
神社に入るときの手水みたいなもんかなぁ。
ふむ、すで物をかぶっている人は、じゃあ帽子つけなくていいんかな。はっ、こんな邪悪なことを考えていたら神のお怒りを買うかもしれん。心厳しく、あわてて邪念を追っ払った。
ちょうどその時上司が声をかけてきた、「どうした、難しい顔をして、何か祈ってるのか」

嘆きの壁

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