<平成24年5月のブログ>
<イスラエル・ヨーロッパを旅した回顧録シリーズは月はじめ1回ペースでしばらく続きます。>ここは子供バージョンでまいりましょう
平成24年5月18日
学校から電話があって、長女の左目が充血して痛がっているという。
帰宅した長女が元気なく、まだ痛がるので、眼科へ連れて行った。
診てもらうと、工作の時のダンボールくずが瞼の裏側に付着していたことがわかった。除去してもらうと痛みも取れて、長女は元気になった。
帰りの車の中で
「おとうちゃん、受付の後ろの棚に、ア・男、イ・男、って書いてあったけど、あれってカルテ?のことかな」
「そら、あいうえお順に整理してるんやろう。その次は ウ・男 とちゃうかった?」
「その次はハッキリ見えへんかってん」
「そうか、実は イ・男 の次は 悪い・男 かもしれへんな」
「!?、 あはははは」 笑いも復活した。
「実は イ・男 の次は いい・女 だったかも、、、、、」も思いついたのだが。
そのようなことは脳裏から消し去り、速やかに忘れて頂きたい
平成24年5月18日
それは突き出ていた。ベッドの端、フトンからである。
朝起きて、台所へ行こうとした時に気がついた。
カモシカと称する向きもあるようだが、どちらかというと大根の方かもしれない。ミズノやアシックスではきっと詳細に研究する人達もいるのだろう。
普段あんまり見るものでもないので近くで観察してみた。自分の右手を広げて比べると、精一杯広げた僕の親指から小の距離よりちょっと長い。案外長いものだ。近くで寝ていた長女の顔の方が短い。長女の顔は僕の広げた片手よりも小さかったのだ。
並べてみれば、子供の頭の上に先っぽが少し突きでる、ということだ。
しばらく眺めていると、長女が起きてきたので、つい声をかけてしまった。
長女は嬉しそうにして、こそばした。
すぐには起きなかったが、Aは目を覚まして笑っていた。
長女も笑っていた。
一歩下がって関与なきことを主張して僕も笑った。
個人情報保護が強く叫ばれる昨今である。
もし、頭脳明晰なる諸子の中で、何か些細なことに気づかれる方がおられたとしても、
在ればなく、無ければいず
平成24年5月11日
家人が桜餅を持って帰ってきた。
子供達が曰く「お母ちゃん在るところにお八つあり」
そして自分がつけ加えて曰く「お八つ在るところにお母ちゃん在り」
子供に異論を唱えられた「そんなことないでお母ちゃんおったらなくなるで」
それは尤も、と修正して曰く「お母ちゃん去った後にお八つ無し」
手からするりと逃げていく
平成24年5月4日
<イスラエル・ヨーロッパを旅した回顧録 その7>
イスラエル国で、我々はずっとエルサレムにとどまって居たわけではない。せっかくだからと現地バスツアーに上司と参加し、エルサレムを離れてイスラエル南部へ向かった。行き先はエルサレムの南方、死海の方だという。
バスはエルサレムの街をでた。街をでてしばらくすると岩山、そして潅木が茂る荒れ地の道路を走る。
1時間程走ったろうか、バスはベエルシェバというところについた。しばらく停車するらしい、いわゆるトイレ休憩ってやつか。
バスから外をみると、眼前にはこれまでの風景とは一転、なにやらにぎやかだ。シンプルなテントが所狭しと張られていた。そしてテントの下では、うごめく様に大勢の人がいた。バザールというのかどうも市場のようである。人々は、頭に白い切れを巻きつけて、中東のイメージそのものである。
上司二人は喜々としてバスから飛び出していて、もう姿は見えない。僕も広場へ降りていき、市場の中へと分け入った。それぞれのお店で並べられているものはといえば、、、、ふうむ、僕にはガラクタにしか見えない。
整然とした通り道があるわけではないので、このテントと異人で構成される集合体は、迷い込むと元の場所へ戻れるのかとっても不安な空間だった。それでも時間があればふらふらと店をまわってゆっくりと異物を観察しただろうが、バスの出発時刻は決まっている。トイレに行き、バスに近いあたりを一回りして雰囲気だけを味わった僕は早々とバスに戻った。
バスの時計は9時45分を指している。乗客はみな戻ってきているように思える、上司以外は。バスの出発時刻まであと5分程なのだが。おいおい、上司達が戻って来ないよ。
迷って帰って来られなくなったのか、ターバンに巻き取られて拉致でもされたのだろうか。若い娘じゃあるまいに。あんなもの持って行ってどうする。
この広大な市場の中に埋もれているのか、、、。いやはやさて、どうしたものか。
探しにいこうか。いや探しにいってこの地に置いていかれたどうする。上司とオレ。ひょっとして、探しにいって、入れ替わるように上司だけがバスに戻り、もしオレだけ取り残されたらどうするんだ!そんなの最悪だ。
なんばや梅田の地下街で道に迷ったなんてのと訳が違うよ。
いやだ〜俺はきっと半狂乱だ。異邦人の渦の中、そして周囲を見渡しても荒れ地、何にもない所だよ。どうやってホテルに戻って日本へ帰るのさ!!
このままイスラエルにり残されてしまうのかぁ。路頭に迷いながら、ここで暮らさざるを得ない。
でもひょっとしたら、オレは親切な現地の人に助けられるかもしれない。
するとその人の助けをかりて、生活できるかも。
仕事がうまくいって裕福になれたりして。
たぶんその人には、若い、とってもかわいい娘がいるだろう。
そしたら、オレはその娘と結婚してしまうってことか。
あげく、地位名誉まで得る。
じゃあ、帰る必要もなく、そのままこのイスラエルに溶け込んで、ヨシュアを名乗って豪華絢爛な生活を続ける方が、いいじゃないか。
と人生計画順風満帆だったところへ、おお〜、戻ってきたよ。我が上司。
せっかく、ステキな人生掴みかけていたところだったのに。
(バスツアーは続く)
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