<平成24年8月のブログ>

<イスラエル・ヨーロッパを旅した回顧録シリーズは月はじめ1回ペースでしばらく続きます。>

ご趣味は幅広いようで

平成24年8月31日

三男がワンピースを見ていた。家人も見ている。ナミと魚人との因縁がつまびらかになっていく話で、魚人海賊・アーロンとルフィとが戦っていた。
私はお風呂へ入った。
お風呂から上がると。三男はもう自分の部屋に戻っていた。
代わるようにしてテレビの前には次男がいた。EテレのGlee(グリー)を見ていた。奇抜ないでたちの女子がレディガガを歌って踊り、男子はサイケな化粧でキッスを歌う。
テレビの前はというと、入れ替えなしに家人がいる。


夜のとばりに呻る声

平成24年8月24日

夜の8時過ぎ、郵便物をポストへ入れるために外へでた。ふと思いつき、食後の散歩にと近くの公園へ足を運んだ。周回を歩く。すると前から低い声が聞こえる。携帯電話でも話しているのかと最初は思ったが、違う。独り言か、いや歌っている!?英語の歌詞に思えた。聞いたことのない曲だ。低い声で、ワンフレーズづつ歌う、と言うよりため息を吐き出すように唸る。それはブルースのごとし。
早足の僕はついその人の前へ出た、僕は背後から歌声を聞くことになった。呻くような歌声がしばらく続いて途切れる。歌い終わったのかと思っていたら、沈黙を打ち破るように、突然次のフレーズがでてくる。かと思うと走った後のような荒い息継ぎがなまめかしく続いて、再び唸るような歌声が聞こえる。
僕は舗装道道なりに歩いていたのだが、背後の声は右や左からと聞こえる。どう歩いているんだろう。時として真後ろから声が突き刺さる。息が、いや魂がはき出されたような響きだ。響きは背中にまとわりつき、僕の右肩、さらに左肩を包み込むように迫る。
夜の公園で、これは結構怖かった。
もう一度聞きたいと思うのだが、その機会を未だ得ていない。



天下太平

平成24年8月17日

休日の朝。誰も起きてこない。しばらくすると早寝早起きの長女がぼそぼそと起きてきた。
「おとうちゃんご飯は?」
炊飯器をみて気がついた。「わっ、炊けてないわ」
遅れて起きてきた三男が「え〜ご飯ないの」
長女は、「ほな、ホットケーキつくったら、え〜やん」
とホットケーキの素を出してきて、卵、牛乳を混ぜ合わせ始めた。
私はホットプレートを出してくる。
寝息も聞こえるような静かな朝の出来事だった。

念じなさい。唱えれば満たされる

平成24年8月10日

少し前の話しである。
家人の口が何やらぼそぼそ言っている。「検診、検診、明日は検診」
そんな日に限って、頂いたばかりのゼリーやサクランボが冷蔵庫に入っている。さくらんぼは普段お目にかかることのないような、山形産の上等ものだった。
昨日遊びに来た妹からのロールケーキも二きれ残っている。
わざわざ冷蔵庫を開ける必要もなかろうに。
長女に向かって「ケーキ残して!これまだ食べへんの?もう一きれは誰食べてへんの」
長女は「今日はもういい、明日食べる。残っているのは、よっしー兄ちゃんの」
口綺麗な三男も、お腹いっぱいの時には食べない。
三男に向かっては「あんた食べてへんの、どうするの」
「もういらん、おかあちゃんにあげる」
ぐっと我慢の家人は「検診、検診」と唱えている。

だって機上だよ

平成24年8月3日

<イスラエル・ヨーロッパを旅した回顧録 その10>
いよいよイスラエル出国だ。
次の目的地はというとイタリア南部の遺跡ポンペイ。ここはヴェスヴィオ火山の噴火により埋もれた町だ。ポンペイ遺跡はローマ時代の生活状態をそのまま封じ込め保存したと言われる遺跡で、これを見に行きたかったのだ。
イスラエルテルアビルから空路で出国してアテネへ、さらに海路でイタリア南部へ渡る予定だった。

ところがである、テルアビブ空港へ行くとアテネ行きオリンピア航空が飛ばない、と言われたのだ。何でや!チケットはあるぞ。このギリシアのオリンピア航空は欠航が多いので有名だと聞いた。昨今のギリシア危機など見ていると、さもありなん、と感じるなぁ。
飛ばないのは仕方ない。自分がアテネまで飛行機を飛ばすわけにはいかない。テルアビブからイタリア方面へ行く飛行機を捜すと、ローマ行きが空いているという。予定変更だ、ポンペイは諦めた。ローマはあまりにもメジャーなので、ちょっと気に入らなかったが、他に選択肢もないし、まあいい。そもそもが海外旅行が2度目でヨーロッパは初めてなのだから、行き先に文句を言うなんて贅沢なことだろう。全ての道はローマに通ずというではないか。先はまだある。

チケットを変更して出国手続きへと向かった。しかし、これが簡単ではなかった。パスポートはいい。手荷物検査が大変だった。
検査場へ行くと、何やら短いステッキを持った西岡スミコみたいな係官が、機内へ持ち込む旅行鞄を台の上に置いて開けろと命じてくる。とても高圧的な態度だ。西岡スミコはテレビの中なので笑ってられるが、こちらは目の前だ。鞄を開けると、パッキングしてある品物をいちいちこれは何だ!説明しろとくる。お土産だというと、見せろというので、包みを開ける。もうねちこいというか、じゃまくさいというか。私らはこの国から去ろうというのですから、もういいですやん。このひ弱な日本人が飛行機を乗っ取ろうとしているように見えますか、とは思っても、口にはだせないし、まず眼前女性検査官の眼が青光りして恐ろしいので、ハイハイと卑屈な態度になる。それでも通してくれたのは感謝すべき、ということか。
飛行機に乗り込むことができてやれやれだ。今回のお話しには、毎度あるようなオチはない。

過去のブログ

2012年(平成24年)
1月 2月 3月 4月 5月  6月
7月  **  **  **   **  **  

2011年(平成23年)
1月 2月  3月  4月   5月 6月 
7月 8月 9月 10月 11月  12月 

2010年(平成22年)
**  2月  3月  4月   5月 6月 
7月 8月 9月 10月 11月  12月