<平成25年1月のブログ>
<イスラエル・ヨーロッパを旅した回顧録シリーズは月はじめ1回ペースで続いてきました。今回が最終回のつもりでしたが、来月のオマケで終了します。>めっ、滅相もない
平成25年1月25日
プリンターがこわれた。動かない。もう何年前に買ったものだったろう。スキャナーもついた複合機だ。古いので場所をとるしでっかい。でもとりあえず機能していた。それが、エラーメッセージがでてうんともすんとも言わない。使えないのだから仕方がない。新規購入も考えたが、家人にとめられた。で、電気屋さんへ修理にだすことにした。
車に積み込もう。やっぱ重たい。
新しいのはコンパクトでキレイだろうなと思いながら、よっこらしょ、と持つ。その心を見透かしたような、目の前の家人が「古いし重いし、かさばるのに動かない。嫁みたいやな、と言いたそうな顔やね」
見られてますよ
平成25年1月18日
時々訪れるそのスーパーの、広い食品売り場の一角にパン売り場コーナーがあった。食品売り場の出口近くなので、すぐ横にはスーパーのレジがずらっと並んでいる。しかしパンはスーパーとは別精算だったので、パンコーナーには専用のレジがあり、スタッフがいた。
若っぽいおじさんが出口から手ぶらでふらっとやってきた。僕はレジを見ていた。何故なら、そのレジの女の子がそのおじさんを見ていたからだ。おじさんはパン売り場の中央テーブルと僕の間をすり抜けると、体を斜めに傾けながら時計回りに15分程廻ると、おもむろに右手で「ラウンド大納言」の試食パンを一切れつまむや、口元へ運んで閉じた唇から中へ押し込んだ。そして右へ傾いたやじろべえがゆっくり逆側、つまり左側へ傾いていくように、おじさんの体は左に傾きだして、広げた両腕の左手が下へと下がり、今度は「ラウンドメープル」の試食一切れを掴んだ。おじさんはテーブルの外周に接した歯車のように、テーブルに沿いながら、体軸を回転させて、テーブルの向こう側へと移動する。入れ替わって動き出した右手は「シュガーブレッド」試食一切れを取って、今度は体を折り曲げるようにして口へ放り込んだ。
レジの方を見やると、白い大きなマスクと頭につけた白い三角巾の間から、今時の黒い瞳が二つ、この光景を見ていた。おじさんが旋回しながら、パンコーナーを後にして、お肉コーナーへと舞っていくと、レジの女の子は同じ光景を見ていた同僚と目を合わせて、何やら二言三言会話を交わした。ふっと気がついて振り返ると、家人もメープルを口に入れていた。
重きをいとわず、
あらん限り、渾身の力をこめて持ち上げてみました
平成25年1月11日
「弟とお姉さんででもいいんじゃない〜(^Д^)」そんなご意見があると、漏れ伝え聞いた。そらそうです。全くもってごもっとも、ごもっとも。いや本当にご同感。あいや、おっしゃられるとおりでございまする。
さてさて、この一枚の写真をご覧じろ。

この弟と自称姉かも、が参加した大阪マラソン。私と長女は二人を見つけることができず、写真も撮ることができなかった。しかし、しかし、まあ世の中にはちゃんとプロちゅうもんがいてはります。参加ランナーの写真を撮って撮りまくって、どうぞお買い求め下さいとネットで写真をアップしておられます。検索すると、おおおっっっ!二人の勇壮な姿が見事に写されていたではないか。
日頃のトレーニングで鍛えられ、引き締まっていながらも、しなやかで伸びやかな肢体。黒いサングラスは艶やかに映え、トレーニングシャツは参加者に配布されたものだが、あつらえたようにばっちりフィットしている。帽子も合わせたわけではないようだが、おそろいに見える。自称姉の軽快な走りっぷりは、軽やかに宙に浮いた瞬間が切り取られるようにして、たっぷりと、あますところなく、もののみごとにとらえられており、まさしくランナーとしても美しく、若々しさがはじけんばかりに、躍動感に満ちあふれて、もうどう表現してよいのか選ぶ言葉がないほどに、韋駄天、好走、快走、疾走しているのではなかろうか。ほんに二人は、弟とステキなお姉さんのような、、、、、、で宜しかったでしょうか。
この街はいつかきた街
平成25年1月4日
<イスラエル・ヨーロッパを旅した回顧録 その15>
夜行列車はベルンに到着し、乗り継ぎのために僕は列車を降りた。スイスに入って初めての街だ。次の列車の出発にはまだ少し時間がある。僕は駅をでた。トロリーバスや路面電車が駅前を走っている。路面電車に沿って、石造りの街を歩いた。遠くに尖塔が見え、少し向こうにはにぎやかな街並みが広がっている。遠目に見えたその街並みをもっと身近に見たい、と思ったが、悔しくも時間があまり無い。街の様子を目に焼き付けると、僕は駅に戻った。そして次の目的地ルツェルンへ向かう列車に乗り込んだ。
ルツェルンでは世界最急勾配の山岳鉄道(写真黄色矢印が、右下から左上方向に斜面を登る列車だ)に乗りピラトス山(標高2182m)へと登った。写真はその時のものだ(列車と同じように斜面を登っている奴がいる)。

この旅行は1986年のこと、若造29才。
それから11年の時が経ったある日、かつて乗り継ぎで一瞬立ち寄ったあのベルンの駅に、自分は再び降り立った。今度は一人ではなかった。そしてじっくり見ることのできなかったこの街を、時間を気にすることなく、たたずみながらでも目にすることができた。何故なら、ベルン大学歯学部の客員研究員として研究に携わることになり、このベルンの街に1年間住む機会を得たからだ。さらにルツェルン、ピラトス山を含む幾つかの場所とも再び直に接することができた。11年前には露ほども思わなかったことが起こったのだ。
(写真の赤矢印は撮影方向が異なるが同じホテルだ)
スイスに在住した時の騒動記は別頁に既にアップ済みだ(未読の方は、これを読むのもまた一興かもね)。
人生何がおこるかわからないものである。
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